「空飛ぶ円盤」は記者の聞き違いから生まれた、と辞典は書いています。1947年6月25日から28日の新聞を、日付順に並べます。
要点:この記事で渡すのは3つです。①「空飛ぶ円盤は誤訳から生まれた」という説明が、いま日本のどの辞典に載っているか。②1947年6月25日から28日までの新聞に、実際にはどう印刷されていたか(9件を日付順の表にしました)。③その2つが合わない箇所と、いまだに分かっていない箇所。結論だけ先に書くと、「聞き違い」説を最初に言ったのは記者ではなく目撃者本人で、時期は事件の3年後です。そして flying saucer という語は、記事の本文より先に見出しに出てきます。
まず、こちらの言い分から紹介します。
コトバンクに載っている『世界大百科事典』第2版の「UFO」の項は、こう説明しています。目撃者のケネス・アーノルドは、水面を受け皿(saucer)が跳ねながら飛んでいくような独特の飛び方をしていたと語った。saucer にたとえたのはあくまで飛び方であって形ではなかったが、この言葉をきっかけに皿形・円盤形の飛行物体というイメージが定着した。
整った話です。整いすぎている気もします。(この連載でその感想が出たときは、だいたい何か落ちています。)
幸い、この件は当時の紙面が引用つきで残っています。順に見ます。
1947年6月24日に起きたこと
ケネス・アーノルドは実業家で、自家用機のCallAir A-2でワシントン州チェハリスからヤキマへ向かう途中でした。海兵隊の輸送機C-46が同州レーニア山付近で墜落しており、発見者に5,000ドルの懸賞がかかっていたので、少し寄り道をしていたところです。
午後3時少し前、高度およそ9,200フィート。左手に光の点滅を見つけ、9つの物体がレーニア山の前を通過してアダムズ山の方角へ消えるまでを、計器盤の時計で1分42秒と計りました。距離から逆算した速度は時速1,700マイル超。本人は距離に自信が持てないという理由で、時速1,200マイルまで自分で切り下げて話しています。1947年の有人機は、まだ音速を超えていません。
この「自分に不利なほうへ丸める」という振る舞いが、後に取材した記者たちの評価を決めます。翌6月25日、彼はオレゴン州ペンドルトンの地方紙イースト・オレゴニアンの編集室に立ち寄りました。応対したのはノーラン・スキフとビル・ベケットの2人です。
6月25日から28日まで、印刷されていた文言
ここから4日ぶんを並べます。英語はいずれも当時の紙面から引かれたもので、日本語は内容を示すために添えました。
| 日付 | 出た場所 | 印刷されていた文言 |
|---|---|---|
| 6月25日 | イースト・オレゴニアン紙1面(ベケット記者・最初の記事) | “He said he sighted nine saucer-like aircraft flying in formation...”(編隊で飛ぶ9機の受け皿のような航空機を見た、と彼は言った) |
| 6月26日 | シカゴ・デイリー・トリビューン紙(25日付) | “They were silvery and shiny and seemed to be shaped like a pie plate.”(銀色で光っていて、パイ皿のような形に見えた) |
| 6月26日 | UP通信 | “Nine bright, saucer-like objects...”(9つの明るい、受け皿のような物体) |
| 6月26日 | AP通信 | 物体を “flat like a pie pan”(パイ皿のように平ら)と述べ、鏡のように日光を反射したと語った |
| 6月26日 | イースト・オレゴニアン紙(ベケット記者・2本目) | 形は “flat like a pie-pan and somewhat bat-shaped”(平らでパイ皿のよう、いくらかコウモリのよう)、動きは “like the tail of a Chinese kite”(中国凧の尾のよう) |
| 6月26日 | KWRC(ペンドルトンのラジオ局)の録音 | “something like a pie plate that was cut in half with a sort of a convex triangle in the rear”(半分に切ったパイ皿の後ろに、ふくらんだ三角がついたようなもの) |
| 6月26日 | シカゴ・サン紙の見出し(AP配信記事に付けたもの) | “Supersonic Flying Saucers Sighted by Idaho Pilot” |
| 6月27日 | UP通信の本文 | “his 1200-mile-an-hour ‘flying saucers’”(時速1200マイルの「空飛ぶ受け皿」) |
| 6月28日 | イースト・オレゴニアン紙(ベケット記者) | ここで初めて “flying disc” を使う。“flying saucer” はまだ使っていない |
並べると、通説と食い違う点が2つ出ます。
1つめ。本人が形について saucer と言ったと書いた記事が、先にあります。「受け皿のような航空機」「パイ皿のように平ら」「パイ皿を半分に切ったようなもの」。動きのたとえ(中国凧の尾、鏡のような明滅)は別に、ちゃんと動きの説明として並べて印刷されています。記者が形と動きを取り違えたにしては、両方が同じ記事に、別々の話として載っています。
2つめ。“flying saucer” という2語の組み合わせは、記事の本文より先に見出しに出ます。初出とされるのは6月26日のシカゴ・サン紙の見出しで、これはAPが配信してきた記事に、その新聞の側が付けたものです。本文に入るのは翌27日。ベケット記者にいたっては、28日に “flying disc” を使うまで、どちらの語も書いていません。
「聞き違いだ」と言い出したのは、3年後の本人です
では、通説はどこから来たのか。
1950年4月7日、CBSのエドワード・R・マローがアーノルドに電話で取材しています。そこで本人はこう言いました。「あの騒ぎのなかで、誰も自分が何の話をしているのか正確には分かっていなかった。彼らは私が『それらは受け皿のようだった』と言ったと言うが、私が言ったのは『受け皿のような飛び方をした』だ」。
事件から2年9か月後の発言です。この時点で彼は、9機の形はブーメランかコウモリの翼のようだったと訂正しています。当時描いた図も残っており、円盤ではありません。
つまり順番は、こうです。まず紙面に「パイ皿」と印刷され、次に見出しが2語をつなぎ、円盤形のイメージが世界に定着し、そのあとで本人が「形の話ではなかった」と言った。訂正としては筋が通っていますが、訂正が語源の説明として流通するうちに、時間の前後が消えました。
ここは民間語源とよく似た現象です。もっともらしい由来が、実際の記録より速く広まる。違うのは、こちらは本人の証言が起点になっている点です。
では、誰が最初に組み合わせたのか
特定されていません。
1970年、ノースウェスタン大学に提出されたハーバート・ストレンツの博士論文が、1947年から1966年までの米国紙のUFO報道を通して調べています。結論のひとつが、アーノルド事件の初期記事の本文には “flying saucer” も “flying disc” も出てこない、というものでした。だとすれば作ったのは編集者か見出し係だろう、と。
ベケット記者は長く「flying saucer の名づけ親」として紹介されてきましたが、後年のインタビューで本人がそれを否定しています。1988年に自宅で聞き取りを行った社会学者ピエール・ラグランジュが、1998年に記録を発表しました。実際、彼の書いた3本の記事にその語は出てきません。
見出し係が犯人だとすると、動機の見当はつきます。新聞の見出しにはヘッドライニーズという独特の文体があり、be動詞や冠詞を落とし、同じ意味なら短い語を選びます。“nine saucer-like objects” は長い。“flying saucers” は短い。それだけの話だった可能性はあります。(可能性です。名前を残していないので、確かめようがありません。)
9機のうち1機だけ、話が違う
形について、もうひとつ記録があります。UFO研究の資料をまとめたジェローム・クラークによれば、アーノルドはのちに、9つのうち1つだけが三日月形で、残る8つとは違っていたと明かしています。
この1機ぶんの違いが、後年の解釈にずいぶん使われました。懐疑側からは、編隊で滑空するアメリカシロペリカンではないかという説が出ています。翼を広げると3メートルを超え、腹側が白く光を反射し、滑空時の横顔は三日月に見える。空軍側の公式見解はもっと素っ気なく、「蜃気楼」でした。
この記事は、9機が何だったかを決める記事ではありません。決められる材料がありません。未確認動物学の項でも触れているとおり、この連載が追うのは物体ではなく言葉です。
たどれなかった範囲
正直に書きます。今回、日本語の「空飛ぶ円盤」がいつどの媒体で最初に使われたかは、確認できませんでした。
1947年のうちに日本でも報じられたという記述はいくつか見かけますが、紙面そのものを示した資料に当たれていません。日本語版の百科事典類は「flying saucer の訳語である」とだけ書き、初出の日付は書いていません。加えて、日本では第2次大戦中から独自の目撃例があり、その時点でこの名称が発案されたと主張する研究者もいる、という但し書きが付いています。この但し書きの根拠も、今回はたどれませんでした。
つまり日本語側は、英語側で崩した通説と同じ状態のまま残っています。整った説明があり、それを支える紙面が示されていない。
英語圏で語が生まれた4日間の記録は、これだけ細かく残っていました。訂正が語源として流通するには、その4日間より長い時間と、たった1回のラジオ出演で足りたわけです。
以上です。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.08.19
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