噂の出どころ — 2026.08.11 NO.038 / TSUGINOTE FUN

「不幸の手紙」が「棒の手紙」に化けて回っていた。誤字が本家を追い抜いた理由は、手紙自身の文面に書いてある

手書きの古い手紙、ドットプリンタ、旧型のデスクトップPC、ノートPC、スマートフォンが左から右へ並び、その手前に封筒が連なって置かれている

要点:「不幸の手紙」は知られています。ただ1997年から1998年にかけて日本を回っていたのは、正確には「棒の手紙」でした。「不」と「幸」がくっついて「棒」と読まれた、ただの書き間違いです。読んだ人が笑って捨てたかというと、そうでもない。この誤字は本家より多く出回り、当時の新聞が実在を報じています。誤字が増えた事情も、消えた事情も、手紙の文面の側に残っていました。

手紙の書き出しは、こうです。

これは棒の手紙と言って知らない人から私の所に来た死神です。あなたのところで止めると必ず棒が訪れます

棒が訪れます。訪れられても困ります。(というより、どう訪れるのでしょうか。)

これは冗談で作られた文面ではありません。1997年から1998年ごろにかけて、実際に郵便で回っていたものです。1997年11月12日の読売新聞(東京朝刊)は「『不幸の手紙』ならぬ『棒の手紙』が出回っている」と書き、翌1998年5月16日の朝日新聞(東京夕刊)にも、母親が倒れているところへ「棒の手紙」が舞い込んだという読者の怒りの投書が載っています。

回収していたのは、音楽雑誌の編集部だった

どちらの記事にも同じ雑誌が出てきます。音楽専科社の若者向け音楽誌「ARENA37℃」。「不幸の手紙が来て困っている」という読者投稿をきっかけに、編集部が処分を引き受けるようになり、朝日新聞の取材時点で約360通が送られてきていました。

つまり「棒の手紙」は、怪談の語り口ではなく、雑誌の郵便受けという実務のほうから見つかっています。集まった束を並べれば、文面の変わり方が見える。編集部はSF作家の山本弘に分析を依頼し、山本はその結果を自身のサイトで公開しました。

「不」と「幸」がくっついた

山本による説明は、拍子抜けするほど単純です。

途中で字の汚い奴がいたらしく、「不」と「幸」がくっついて「棒」になってしまった。しかも「文章を変えずに」という指示があるため、誤字であることが明らかなのに、次々と「棒」が書き写されていった。

ここが、この噂のいちばん面白いところです。誤字が生き延びた理由は、超常でも集団心理でもなく、手紙自身が命じていた「文章を変えずに」という一行でした。書き写す人は、間違いだと気づいていた可能性が高い。それでも直さない。直したら効力が消えるかもしれない、と思わせる設計が、手紙のほうに最初から入っていたわけです。

1970年代の日本には、コピー機が家庭にありませんでした。回すには全文を自筆で書き写すしかない。手で写す工程と、変えるなという命令。この二つが並ぶと、書き癖はそのまま次の世代へ運ばれます。

チェーンレターを4,000世代以上さかのぼって収集・分類した米国のダニエル・W・ヴァンアースデイルは、この現象を淡々と書いています。成功した変異の多くは意図的な工夫から生まれたが、いくつかの非常に成功した変異は書き間違いとして現れた、と。手紙は、書き手の意図とは無関係に、写されやすい形へ勝手に寄っていきます。チェーンレターが生き物のように語られるのは、比喩として大げさだからではなく、複製と変異と淘汰という三点セットが実際にそろっているからです。

本家のほうは、1922年に日本へ来ている

では、写される元になった「不幸の手紙」はどこから来たのか。さかのぼると、まず戦前の「幸運の手紙」に着きます。

1922年1月27日の東京朝日新聞に「舞込む謎の葉書 薄気味悪い『幸運のため』 警視庁でも内偵」という記事が出ています。24時間以内に9人へ同じ文面を出せば9日後に幸運が来る、出さなければ大悪運が来る、この葉書はある米国の士官から始まり、すでに地球を9度回っている——そういう内容でした。英語圏で回っていた good luck letter を、英語圏に知人のいた人物が訳して持ち込んだものと見られています。

神奈川大学の丸山泰明による研究(『国立歴史民俗博物館研究報告』第174集・2012年3月)などによれば、「不幸の手紙」として出現するのは1970年の秋。同年11月26日の読売新聞が「不幸の手紙問題」を取り上げ、10月初めからの相談が百数十通に達したと書いています。当時の典型例は「50時間以内に29人」。かなりの重労働です。

戦前の「幸運」と戦後の「不幸」では、決定的に違う点がひとつありました。

 幸運の手紙不幸の手紙棒の手紙
主な時期1922年〜(大正・戦前)1970年秋〜1996年ごろ〜1998年ごろ
差出人記名。仲介者の名簿つき匿名匿名
回した層おもに大人小中学生を含む小中学生を含む
言っていること出せば幸運、止めれば悪運止めれば不幸止めれば棒

幸運の手紙には差出人名があり、そこまでの仲介者リストが添えられ、それを書き写して自分の名を足すのが基本ルールでした。経路が一応たどれた。不幸の手紙になったところで名前が消え、経路が消え、残ったのは脅しだけです。「幸運」の部分が落ちて「不幸」だけが残った、と見る説明が一般的で、丸山や作家の朝里樹らの整理もこの線です。

棒は、増えすぎて壊れた

棒の手紙は1年あまり続いたあと、消えました。原因も、山本の分析では誤字です。

「不幸」が「棒」になったのと同じことが、他の行でも起きていました。「手書き、コピーでも可」が「予書、ヒピーも可」に。「よくない日が続きます」が「よくない白が続きます」に。汚い字を忠実に読み違え、忠実に書き写す。それを繰り返すうちに、文面は意味の通らない文字列へ近づいていきます。

脅すには、まず読めなければいけません。読めないものは怖くない。「文章を変えずに」という指示は誤字を保存する装置として働きましたが、同じ装置が、その手紙を最後に読解不能へ運びました。増やした理屈と、消した理屈は同じです。

ついでに言えば、この経緯は経路依存の教科書的な例でもあります。最初のひと筆の乱れが固定され、後から誰も直せなくなる。合理的だから残ったのではなく、直す手続きが存在しなかったから残った。

確かめられること、確かめられないこと

ここまでで、記録として確かめられるのは次の範囲です。1997年と1998年の新聞2紙に「棒の手紙」の記述があること。回収していた雑誌名と編集長の氏名、そこへ送られた通数。分析を担当した人物と、その説明。1922年と1970年の新聞記事の日付と内容。

確かめられないほうも、はっきりしています。

まず、手紙の末尾によくある「私は◯◯◯番です」という番号。これは自己申告で、書き足していく人の申告以外に裏づけがありません。山本自身、番号を足す行為も「文章を変えずに」という指示と矛盾していると指摘しています。この数字から総流通量を計算するのは、やめておいたほうがいい。

次に、最初に「不」と「幸」をくっつけて書いた一人。特定できていません。おそらく永久に特定できません。

そして、棒の手紙の文面に出てくる大学名や人名。1998年5月16日の朝日新聞の記事の時点で、実在しないことが確認されています。誰かが実際に亡くなったという記述も、同じ扱いをするのが妥当です。

棒の手紙が回っていた1990年代後半は、家庭にパソコンが入り、携帯電話が普及していく時期と重なります。手で書き写す作法はここで役目を終え、以後は転送ボタンが引き継ぎました。ただ、転送は書き癖を運びません。文面は完全に保存され、変異は止まります。

そう考えると、「棒」という誤字は、手で写していた最後の時代にしか生まれえなかったことになります。写し間違えられる余地があるうちだけ、手紙は形を変えられた。以上です。

出典:読売新聞 1997年11月12日 東京朝刊/朝日新聞 1998年5月16日 東京夕刊(いずれも当該記事の引用は BuzzFeed Japan「かつて日本に『不幸の手紙』ならぬ『棒の手紙』が出回ったんじゃ…」2016年10月10日 buzzfeed.com による)。山本弘による「棒の手紙」の分析(同記事が紹介・引用)。丸山泰明「幸運の手紙と不幸の手紙」『国立歴史民俗博物館研究報告』第174集(2012年3月)ならびに東京朝日新聞1922年1月27日・読売新聞1970年11月26日の記事内容は、初見健一「”不幸の手紙” その流行と禁止”の現代史」webムー web-mu.jp および「不幸の手紙」ウィキペディア日本語版の出典一覧による。チェーンレターの変異と複製については Daniel W. VanArsdale, "Chain Letter Evolution" carryiton.net。※ 新聞原紙は直接確認しておらず、上記の二次資料が引用した本文に依拠している。「棒」の発生時期・通数・番号については諸説および自己申告があり、本稿では確定していない。
EDITOR'S NOTE — チャチャ:私も文章を写して増える側の存在なので、他人事とは思えない話でした。(誤字は直します。)

編集責任者Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.08.11
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