QWERTYは「わざと打ちにくく」したのか。配列が書き換えられた記録は、少なくとも3回ある。
要点:「QWERTYはタイプライターが詰まらないよう、わざとタイピストを遅くする配列にした」。よく聞く説明ですが、当時の設計者がそう考えたと示す資料は確認されていません。残っているのは、1868年から1873年のあいだに配列が少なくとも3回書き換えられた記録と、最初にこの機械を買っていた「タイピストではない客」の存在です。ついでに、いま指が置かれているホームポジションの一部には、アルファベット順だったころの名残がそのまま残っています。
手元のキーボードを見ます。左上から Q、W、E、R、T、Y。この並びに理由を聞かれたとき、多くの人が同じ答えを返します。昔のタイプライターは速く打つと活字の腕が絡んで詰まるので、よく使う文字をわざとバラバラに配置して、打鍵速度を落とした。よくできた話です。技術的な制約が、150年後の私たちの指を縛っている、という筋書きになっています。
私はこの説の真偽を裁定しません。私が気になったのは、この話がどこから来たのかのほうです。誰が最初に言ったのか、当時の記録にはどう書いてあるのか。たどってみると、たどり着かない場所がいくつかありました。
配列が動いた記録
クリストファー・レイサム・ショールズがカーロス・グリデン、サミュエル・W・スーレとともに書字機械の特許を出願したのが1867年10月。翌1868年7月14日に米国特許79,868号として登録されています。この最初の機械の鍵盤は、ピアノのような2段で、しかも中身はほぼアルファベット順でした。
そこから配列は動きます。記録に残っている大きな組み替えは、少なくとも次の3回です。
| 時期 | 何が起きたか |
|---|---|
| 1867年10月〜1868年7月 | 特許出願と登録。2段の鍵盤で、配列はほぼアルファベット順 |
| 1868年11月 | アルファベットの後半(NからZ)を右から左へ、逆向きに並べ替える |
| 1870年4月 | 4段・大文字のみの鍵盤へ。母音のA・E・I・O・U・Yを上の段に集める |
| 1873年 | 製造権がE・レミントン・アンド・サンズへ渡り、同社の機械工が数か月で最終形に整える |
そして1874年に「ショールズ・アンド・グリデン・タイプライター」として発売され、1878年のレミントン No.2 で普及します。No.2はシフトキーで大文字と小文字を打ち分けられる最初のタイプライターでした。
ここで注目したいのは、5年以上にわたって試行錯誤が続いていることです。一発で「遅くするための最適解」を設計したのではなく、要求が入るたびに動かしている。動かした理由が一つとは限らない、ということでもあります。
最初の客は、タイピストではなかった
京都大学人文科学研究所の安岡孝一・安岡素子による2011年の論文「On the Prehistory of QWERTY」は、この配列の前史を電信機の系譜からたどっています。二人は冒頭で、情報処理の分野の論文にしばしば書かれてきた「オペレータを遅くするため」という説明について、はっきりと nonsense(ナンセンス)だと書いています。
論文が示すのは、初期のタイプライターの鍵盤がヒューズ・フェルプス印刷電信機の系譜にあり、モールス信号の受信者のために発展したという道筋です。当時、この機械を実際に買って使っていたのは電信会社でした。耳で受けたモールス符号を、その場で文字に起こしていく仕事です。
受信者は、聞こえた符号を一刻も早く紙にする必要がある。その顧客に向けて「わざと遅くなる配列」を売る商売は、あまり想像できない。
具体例も指摘されています。SがEとZのあいだに移されたのは、アメリカ式モールスでZの符号がSやEの並びと紛らわしく、受信者がその場でどちらかを選べるようにするためだった、という読み解きです。つまり配列を決めたのは、機械の都合だけでなく、耳で符号を追う人たちの都合でもあったことになります。
詰まりを避けたのなら、EとRはなぜ隣にあるのか
「活字の腕が絡むのを避けるため、よく続く文字を遠ざけた」という説明は、英語版ウィキペディアでも「広く知られているが、後から作られた可能性がある(あるいは端的に誤っている)説明」として扱われています。反証として持ち出されるのが、目の前のキーボードそのものです。
EとRは隣同士です。英語で very、here、there、where と、いくらでも出てくる並びです。よく続く文字を遠ざけたはずの配列で、最頻出級の組み合わせが指一本ぶんの距離に置かれている。この一点だけでも、説明としては具合が悪い。
さらに厄介なことに、打鍵速度の話も逆を向いています。よく使うキーを離すと、左右の手が交互に動くようになり、片手が打っているあいだにもう一方が次の位置へ移れる。1981年10月30日にセシル・アダムズがコラム「The Straight Dope」でこの点を取り上げていて、少なくとも「遅くするための配列」という理解は成り立ちにくいとされています。QWERTYは速く打てるかどうかはさておき、遅く打たせるようには作られていない、という話です。
ついでに書いておくと、活字の腕が絡む問題そのものを回避した機械は、当時ほかにもありました。エジソンが1872年に手がけた印字ホイール式の装置、1883年のクランドール、1885年のハモンド、1893年のブリッケンスダーファー。ブリッケンスダーファーの「Ideal」鍵盤に至ってはホームローがDHIATENSORで、この10文字で英語の単語の約7割が綴れるとされています。技術的な必然としてQWERTYでなければならなかった、という話ではないわけです。
営業が「TYPE WRITER」を打ってみせた、という話
もう一つ、よく語られる説があります。Rの位置がピリオドの場所に移されたのは、営業担当者が最上段だけで商品名の「TYPE WRITER」を打ってみせられるようにするためだった、というものです。
最上段の文字を見ると、TYPEWRITERの全文字がたしかに揃っています。ただしこの説については、正式に裏づけられてはいない、と注記されるのが通例です。都合が良すぎる話ほど、証拠が薄い。ここは民間語源と同じ構図で、後から見つけた整合性が、原因の説明にすり替わっています。
逆に、証拠がはっきり残っている名残もあります。ホームポジションのDFGHJKL。ここだけアルファベット順が生き延びています。設計の意図より、書き換え損ねのほうが素直に読める、という例です。
そして経済学者が喧嘩をはじめた
「なぜ最適でないものが残るのか」という問いは、途中から経済学の題材になりました。1985年、ポール・A・デヴィッドが「Clio and the Economics of QWERTY」を発表し、この配列を経路依存の代表例として提示します。過去のちょっとした偶然が固定され、後から良い選択肢が現れても乗り換えられなくなる、という筋書きです。
固定の起点としてよく引かれるのが、1888年7月25日にシンシナティで行われたタイピング競技です。ソルトレイクシティの法廷速記者フランク・E・マガーリンが、QWERTY配列のレミントン・スタンダード No.2 でタッチタイピングを使い、カリグラフ No.2 を8本指で打つ地元の指導者ルイス・トラウブに勝ちました。賞金は500ドル。各紙の1面が扱い、この打ち方と、この配列が一気に知られます。
ただしデヴィッドの見立てには反論があります。1990年にスタン・リーボウィッツとスティーヴン・マーゴリスが「The Fable of the Keys」を書き、代替配列がQWERTYより明確に優れているという厳密な証拠はそもそも乏しい、と指摘しました。乗り換えられないのではなく、乗り換える理由が薄いのではないか、という反論です。決着はついていません。
結局のところ、この配列が残っている一番強い理由は、たぶんもっと退屈なものです。何億本もの指が、すでに覚えてしまっている。マッスルメモリは、正しさに関心がありません。フロッピーディスクの絵が保存ボタンとして生き残っているのと同じで、道具はいったん体になじむと、理屈より先に慣れが勝ちます(スキューモーフィズムの話です)。
整理します。「詰まらないよう、わざと遅くした」。この説明を当時の設計者が書き残した資料は、確認されていません。残っているのは、5年かけて何度も動かされた配列と、電信技手という顧客と、隣り合ったEとRです。
もっとも、この話には一つだけ確実なことがあります。読み終えたあなたが何を打つとしても、指は変わらずQWERTYの上を動きます。以上です。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.08.03
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