「私、きれい?」と尋ねる女の噂は、1978年の岐阜のある集落から動き出したとされる。新聞に載るまでの一年間には、まだ埋まっていない空白がある。
要点:渡すのは4つ。①いま何と言われているか。マスク姿の女が「私、きれい?」と聞き、答え方によっては刃物を持って追いかけてくるという噂、口裂け女。②初出。1978年12月、岐阜県のある集落で噂が起き、1979年1月26日の岐阜日日新聞のコラムが最初のマスコミ記録とされる。③どう形が変わったか。半年で全国に広がり、地域ごとに服装や凶器や撃退法が枝分かれし、1979年6月には姫路市で本物の刃物を持った模倣犯が逮捕された。④確かめられた範囲。新聞掲載の日付と模倣犯の逮捕は記録に残る一方、噂そのものが何から始まったかは、複数の説が並んだまま今も決着していない。
「私、きれい?」小学生の下校路で、そう聞いてくる女がいたという。
マスクを外すと、口は耳まで裂けていたそうだ。
これが口裂け女の噂で、発祥は岐阜だと言われている。
いま何と言われているか
まず通説の側から並べる。ここでは否定しない。
口裂け女は、口元を完全に覆うマスクをした若い女とされる。学校帰りの子供に「私、きれい?」と聞き、「きれい」と答えると、マスクを外して「これでも?」と裂けた口を見せる。「きれいじゃない」と答えると、刃物で追われるとも言われた。
姿は地域ごとに枝分かれした。赤いベレー帽に赤い服、白いコートに白いブーツ、着物にサングラス。持ち物も、鋏、出刃包丁、鎌、鉈、斧、メスと幅がある。人目の多い都会では隠しやすい鋏や鎌、田舎では殺傷力の高い出刃包丁や斧、という傾向まで報告されている。三姉妹のうち一人だけ口が裂けている、というバリエーションも各地にあった。撃退法も伝わった。「ポマード」と三回唱えると怯むので逃げられる、べっこう飴を渡すと夢中でなめている隙に逃げられる、という具合だ。(免れる条件が整髪料の呪文というのは、噂にしてはずいぶん具体的だ。)
岐阜の、ある年の暮れ
初出をたどる。噂の起こりは1978年12月初め、岐阜県本巣郡真正町(現・本巣市)とされる。農家の年配の女性が、母屋から離れたトイレに立った際に口裂け女を見て腰を抜かした、という話が最初の形だったらしい。
マスコミに載ったのはそこから一月半後、1979年1月26日の岐阜日日新聞のコラム「編集余記」が最初とされる。書いたのは同紙論説委員の村瀬睦。子供たちの噂として、ある女優似の美人、目はキツネ、声はネコに似ている、という描写が紹介されている。この時点ではまだ、岐阜の中だけの話だった。
半年で全国に広がった
そこから先が速い。1979年3月23日発売の週刊朝日が「口裂け女伝説の東海道中膝栗毛」と題した記事を載せ、6月29日号でも改めて取り上げた。噂は西へ、東へと動き、青森や鹿児島まで届いたとされる。福島県郡山市や神奈川県平塚市ではパトカーが出動する騒ぎになり、北海道釧路市や埼玉県新座市では集団下校が実施された。
6月21日には、姫路市の25歳の女性が悪ふざけで口裂け女の格好をし、本物の包丁を持って歩き回り、銃刀法違反容疑で逮捕されている。噂の中の刃物が、現実の刃物として警察沙汰になった一件だ。噂に合わせて自分で「証拠」を作ってしまう現象はオステンションと呼ばれる。畑の円の回でも触れた話が、ここでも起きていたことになる。
八月に、静かに終わった
1979年8月、あれほど全国を席巻していた噂は急速に収まった。夏休みに入り、子供たちの間の口コミが途絶えたためとされる。学校という伝達経路が止まれば、噂も止まる。分かりやすい終わり方だった。
ただし、これで終わったわけではない。1990年代に入ると、整形手術や医療過誤が話題になるたび、口裂け女は「整形に失敗して理性を失った女性」という説明を伴って再燃した。2004年には韓国でも流行している。日本統治下の朝鮮半島に、マスクをした三人の女が「誰が一番きれい?」と聞く、よく似た話があったという証言まで、2001年に採集されている。どちらが先かは、これだけでは判断できない。
発端をめぐる、決着していない話
ここからは、確かめられた分と、確かめられていない分を分ける。
確かめられているのは、新聞に載った日付と、模倣犯の逮捕という二つの事実だ。1979年1月26日の岐阜日日新聞、6月21日の姫路市での逮捕。これらは記録として残っている。
確かめられていないのは、噂がそもそも何から始まったか、という一点である。説はいくつも並んでいる。塾に通わせる余裕のない家庭が、夜道を怖がらせて子供を塾通いから遠ざけた話が広まったとする説。ジャーナリスト朝倉喬司の調査による、大垣市で座敷牢に入れられていた女性が夜ごと外出し、それを見た人が驚いたとする説。岐阜県美濃加茂市で1977、78年頃、事故で顔を負傷した女性が病院を脱走したという話が変化したとする説。江戸時代の郡上一揆で処罰された農民の怨念が、長い時間をかけて妖怪伝説に姿を変えたとする説。どれも「とされる」「という」の域を出ず、一つに決着してはいない。座敷牢の説も事故の説も、当人を直接確かめた記録ではなく、後年の伝聞として語られている点は付け加えておく。
(噂は増殖するとき、たいてい姉妹を増やす。発端の説明も、同じように増えていく。)
新聞に載った日付は動かない。載る前に、集落の中で何が起きていたのかは、今もはっきりしない。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.09.04
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