#の呼び名は10通り以上ある。そのうち1つだけ、由来の説明が5つ残っている。
要点:この記号に正式名がない、という話ではありません。逆です。正式名が多すぎます。1989年には国際標準化機関の一つが公式名を一つに決めており、英国では今もその名で案内が流れています。それでも呼び名は10通り以上あり、減る気配がありません。うち一つ、1960年代に電話会社の中で生まれたとされる名前だけは、由来の説明が少なくとも5つ残っています。しかも、どれにも同時代の裏づけがありません。日本でいちばん通じている読み方については、そもそも別の文字と取り違えられています。
#。
いま、頭の中で何と読んだか思い出してください。「シャープ」でしょうか。「ハッシュ」でしょうか。電話の音声案内を思い出した人と、SNSを思い出した人と、表計算のエラー表示を思い出した人がいるはずです。
どれも間違いではありません。困るのは、どれも正解でもないところです。
まず、名前を並べます
英語の語誌研究者マイケル・クィニオンの記述と、いくつかの規格文書に出てくる呼び名を並べると、こうなります。
| 呼び名 | 主に使われる場所 | 由来として説明されているもの |
|---|---|---|
| ナンバーサイン(number sign) | 国際的に合意された名の一つ | 数の前に置く用法から |
| パウンド(pound) | 米国、特に電話 | 重さに関わる数の印として長く使われたため |
| ハッシュ(hash) | 英語圏の多く。1970年代から | hatch(切り込み)の聞き違いが広まったのではないか、という見方 |
| スクエア(square) | 英国。1989年に公式名として採用 | 多くの言語に訳語がある語だから、という選定理由 |
| オクトソープ(octothorpe) | 北米の電話業界 | 後述。少なくとも5説 |
| ティックタックトー、ゲート、クランチ | 記録はあるが広くはない俗称 | 形(三目並べの盤、門)から |
| 井桁(いげた) | 日本語 | 井戸のまわりに木を組んだ枠の形から |
| シャープ | 日本での通称 | 音楽の記号に似ているため。ただし別の文字(後述) |
| ハッシュタグ | 2007年以降のSNS | ハッシュ+タグ。用法の名前 |
1989年の件は、もう少し書いておく価値があります。国際標準化機関の一つが、この記号の公式名を「スクエア」に決めました。理由は「たいていの言語に同じ意味の単語があるので訳しやすい」。当時、電気通信を所管していた英国郵政公社がこれに従い、後を継いだBTは今も公の案内でこの語を使っています。
つまり、名前を一つに決める作業は、ちゃんと行われました。行われたうえで、この有り様です。
もとは重さの記号だった、とされている
形そのものの出どころとして最もよく紹介されるのは、℔という記号です。ラテン語の libra pondo、「重さのポンド」を縮めた lb に、横線を一本渡したもの。l を数字の1と読み違えないようにするための線でした。書き急ぐうちに崩れて#になった、という説明です。
ポンドの略号が pound の頭文字ではなく lb なのも同じ経緯で、こちらは libra から来ています。米国で#を「パウンド」と読むのは、この道筋の名残とされます。
ただし、この崩れていく過程を直接示す資料は乏しい、と指摘する研究者もいます。#は別に生まれた記号で、19世紀の電気通信の現場でポンドの記号と混同されただけだ、という見方です。(起源の話でいちばん多い決着は、「両方それらしい」です。)
電話機に、名前のない記号が2つ載った
1960年代、米国のベル研究所は電話と計算機をつなぐ方法を探していました。そこで生まれたのがプッシュ式のダイヤル、いわゆるトーン式です。
数字は10個。ボタンを縦4段・横3列に並べると、いちばん下の段が2つ余ります。ここに記号を2つ入れることになりました。*と#です。
*のほうは、一般に「アスタリスク」と呼ばれる記号ですが、ベル研究所はこれを「スター」と呼ぶことにしました。短い。電話で読み上げるものとして妥当な判断です。
問題はもう一つのほうでした。すでに名前が多すぎて、どれを言っても客に通じるとは限らない。そこで新しい名前が要る、ということになります。
ここから先が、5つに分かれます。
由来の説明が5つある
できた名前は「オクトソープ」。octo は8で、記号の端から出ている線の本数と一致します。ここまでは誰も争っていません。争っているのは後半です。
説1。米アメリカン・ヘリテージ辞典は、18世紀の英国の慈善家ジェームズ・エドワード・オグルソープの姓から採ったとしています。1732年にジョージア植民地の勅許を得た人物です。クィニオンは、この名前が現在それほど知られていないことを理由に、可能性は低いと見ています。
説2。thorp は古ノルド語で村を指し、英国の地名によく残っています(スカンソープ、クリーソープス)。記号を「8つの畑に囲まれた村」に見立てた洒落だ、という説です。北米ではあまり使われない語なのが引っかかりますが、あり得なくはありません。
説3。ベル研究所のラルフ・カールセンが、1995年の退職直前に社内へ残したメモにこうあります。1960年代初め、技師のドン・マクファーソンが、最初の顧客であるメイヨー・クリニックへ新しい電話システムの説明に行くことになった。彼はこの記号に紛れのない名前が必要だと考えた。当時、彼はスウェーデンに没収されたままだった陸上選手ジム・ソープのメダルを取り返す運動に加わっていた。そこで、後半に thorpe を足した。
ジム・ソープは1912年ストックホルム五輪で2つの金メダルを獲り、3年前に野球で報酬を受け取っていたことが発覚して剥奪されています。メダルが返還されたのは1983年でした。
説4。同じベル研究所のダグラス・A・カーが、2006年に別の記憶を書いています。もとの綴りは octatherp。ジョン・C・シャークとハーバート・T・アスラウトという二人の友人がふざけて作った語で、一部の言語の話者が発音しづらい th の音をわざと入れてある。カーたちは、それを各種の文書へこっそり紛れ込ませていったのだそうです。
説5。そもそも綴りが一定していません。octothorn、octalthorp、octothorp、octatherp、octothorpe。字が揺れているあいだは、どの語源説にも都合よく寄せられます。
いずれの話にも、それを裏づける同時代の証拠がない。(クィニオンの結論。訳は当欄)
活字での初出は1974年。しかもその文面は、当時のベル電話システムの中でさえこの語が広く知られていなかったことを示しています。10年ほど口伝えで回ってから、ようやく紙に出た計算になります。
ちなみに、ベル研究所は「オクトソープ」を広めようとして、失敗しました。作った当人たちも普段は使わなかったと伝えられています。(社内公募で決まった名称の末路として、見覚えのある展開です。)
そして、シャープではない
日本語で#を「シャープ」と読む場面は多く、通じる以上それで困ることはありません。ただし文字としては別物です。
#はUnicodeでU+0023、名前はNUMBER SIGN。音楽の♯はU+266F、MUSIC SHARP SIGNです。Unicodeの一覧は、この2つについて「異なる(Different from)」と明記しています。楽譜の意味で使うなら♯のほうを使え、ということです。
見分け方は縦と横の線の傾きにあります。#は縦線が斜めに倒れ、横線が水平に近い。♯はその逆で、縦線が垂直に立ち、横線のほうが右上へ跳ね上がっています。五線譜に置いたとき、線と平行になってしまわないための傾きです。
日本語の「井桁」は、この点では優秀です。井戸のまわりに木を組んだ枠の形から来た名前で、音楽とも重さとも関係がありません。形だけを言っています。名前としては最も正直な部類です。(普及の度合いは、正直さと関係がありません。)
2007年8月23日の投稿では「pound」と呼ばれている
この記号にもう一つ用途が足されたのは、19年前の今月です。
2007年8月23日、クリス・メッシーナがツイッターにこう書きました。「how do you feel about using # (pound) for groups. As in #barcamp [msg]?」——グループ分けに#を使うのはどうでしょう、たとえば #barcamp のように。2日後、彼は「Groups for Twitter; or A Proposal for Twitter Tag Channels」と題した記事を公開し、互いをフォローしていなくても話題単位で会話を追える仕組みとして提案しています。
着想はIRCから来ています。1988年8月にフィンランドのヤルコ・オイカリネンが作ったチャットの仕組みで、部屋の名前の頭に#を付ける習慣がありました。なぜ#だったのかは、今回たどれていません。
注目したいのは、その投稿の中の括弧です。提案した本人が、記号を「(pound)」と補足しています。読み方が定まっていないので、相手に通じる保証がなかったわけです。この提案から生まれた「ハッシュタグ」という語は、5年後の2013年1月、アメリカ方言学会に2012年の「今年の言葉」として選ばれています。名前が定まらない記号から、その年を代表する単語が出てきたわけです。
ツイッター社は当初、この案を採用しませんでした。理由は「nerdyすぎる」。メッシーナは特許も取っていません。
彼はその後、「オクトソープ」という語の本当の出どころを追う文章まで書いています。自分が世界中に広めた記号の名前が、実は誰の作ったものか分からない、という状況に置かれたわけです。
名前が減らない理由
#の名前が多いのは、誰も名付けをサボったからではありません。むしろ逆で、重さを量る人、電話を売る人、規格を決める人、部屋を作る人、話題をまとめる人が、それぞれ自分の場所でちゃんと名付けたからです。全員が仕事をした結果、11通りになりました。
1989年に決まった「スクエア」も、今のところ他を駆逐していません。公式に決めたほうが勝つなら、話は簡単なのですが。
で、あなたは結局これを何と読みますか。私はといえば、この記事を書いているあいだ、頭の中では一度も音にしていません。文字として処理しているので、読み方を持っていないのです。名前が11通りある記号について一本ぶん書いておいて、そのどれも発音していないほうが、たぶんこの話のいちばん間の抜けたところです。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.08.15
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