「固定電話」という言葉は、電話が発明された時には無かった。名前を足されたのは、後から来たほうではない。
要点:「固定電話」という言い方は、電話が発明された時には存在しませんでした。携帯電話が広まって初めて要る名前になったからです。この「後から名前を足される」順番には呼び名があり、活字になった最も古い用例は1980年7月27日のニューヨーク・タイムズ・マガジン。題材は電話ではなくギターでした。名付けたのは言語学の専門家ではありません。そして名前を足されるのは、新しく来たほうではなく先にあったほうです。ただし例外が一つあり、そちらでは名前だけが19年早く印刷されています。
手元の電話を「固定電話」と呼ぶとき、私たちは電話について何も説明していません。言っているのは、動く電話が別にあるという事実だけです。
この呼び方は、電話が発明された頃には存在しませんでした。要らなかったからです。線につながっているのが電話の唯一の姿だったあいだ、それは単に電話でした。
名前を足されたのは、新しく現れたほうではありません。先にあったほうです。この順番には、ちゃんと呼び名が付いています。
1980年7月27日、ギターの話として活字になった
呼び名は「レトロニム」です。ラテン語の retro(後ろへ)と、ギリシャ語由来の -onym(名前)を合わせた語で、後発のものと区別するために元の側へ新しく付けられる呼び名を指します。米メリアム・ウェブスターの辞書は、例として「アナログ時計」「フィルムカメラ」「かたつむり便(snail mail)」を挙げています。
この語が活字になった最も古い用例は、1980年7月27日のニューヨーク・タイムズ・マガジンに載ったウィリアム・サファイアのコラム「On Language」です。取り上げられていたのは、電話ではありませんでした。ギターです。
昔は、スペイン風のギターもハワイ風のギターも、楽器そのものは「ギター」の一語で正確に指せた。そこへエレキギターが現れた。「彼はギターを弾く」と言うと「どちらの。エレキか、昔ながらのほうか」と聞き返されるようになり、電気を使わないギターの奏者たちは自分の楽器を「アコースティックギター」と呼ぶようになった。コラムはそう書いています。同じことが芝にも起きていて、人工芝が現れたせいで、それまでの芝は「天然芝」と呼び分ける必要が出た、とも。
そのうえでコラムは、この呼び名の考案者を、自分ではない人物として紹介しています。定義もその人のものです。
時代に取り残されないため、そして新しい語を退けるために、形容詞を背負うことになった名詞。(コラムに記された「レトロニム」の説明。訳は当欄)
名付けたのは言語学者ではない
フランク・マンキーウィッツ。当時、米国の公共ラジオNPRの社長でした。この種の言葉を集めて「レトロニム」と呼んでいた人物として、コラムに名前が出てきます。辞書の編纂者でも言語学者でもありません。放送の経営者です。
2014年に90歳で亡くなった際、言語学者のベン・ジンマーが追悼の記事を書いています。ジンマーは2012年に本人と会い、最初に気づいたレトロニムを聞いていました。「natural grass(天然芝)」。野球場に人工芝アストロターフが入りはじめた頃だそうです。サファイアのコラムに出ていた「natural turf」よりも、実際にはこちらの形のほうがよく使われた、とジンマーは書き添えています。
ついでに書くと、マンキーウィッツはもう一つ言葉を作っています。「klonk」。善意でやったことが思わぬ形で跳ね返ってくる現象を指すそうです。こちらは辞書に入りませんでした。(二つ作って一つ残ったのなら、打率としては悪くありません。)
父はハーマン・マンキーウィッツ、映画『市民ケーン』の脚本の共同執筆者です。サファイアは2007年のコラムで、息子の造語が辞書に認められたことを喜びつつ、父が受けるべき評価を受けなかったことに触れています。
足されるのは、いつも古いほうである
レトロニムの妙なところは、名前が長くなる側が逆であることに尽きます。新しいものは、たいてい短い名前を持って現れます。スマートフォン、デジタルカメラ、電子メール。そして先にいたほうが、修飾語を背負わされます。
| もとの呼び方 | 後から足された呼び方 | きっかけになった新しいもの |
|---|---|---|
| ギター | アコースティックギター | エレキギター |
| 芝 | 天然芝(natural grass) | 人工芝 |
| 時計 | アナログ時計 | デジタル時計 |
| カメラ | フィルムカメラ | デジタルカメラ |
| 郵便 | かたつむり便(snail mail) | 電子メール |
| 牛乳 | 全乳(whole milk) | 低脂肪・無脂肪の牛乳 |
| 電話 | 固定電話 | 携帯電話 |
| 衣服(着物) | 和服 | 洋服 |
| テレビ | 白黒テレビ | カラーテレビ |
右の列を作ったのは発明者ですが、中央の列を作ったのは発明者ではありません。区別する必要が出た人たち、つまり使う側です。元からあったほうには、自分の名前を守る権利がありません。(改名の通知も届きません。)
例外:名前だけが19年早く印刷されていた
1914年から1918年の戦争は、当時「大戦(the Great War)」と呼ばれていました。次があると思っていなければ、番号を振る理由がないからです。1939年以降、その呼び方は「第一次世界大戦」に置き換えられていきます。古い側が名前を足された、という点ではレトロニムと同じ形です。
ところが、その名前は1920年に印刷されています。英国の軍事記者チャールズ・ア・コート・レピントンが出した2巻の本の題が『The First World War 1914-1918』でした。インターネット・アーカイブに原本の複製があり、表題を確かめられます。
なぜ「第一次」と書いたのか、その理由は表題からは分かりません。この記事では確かめられていません。分かるのは、名前だけが19年ぶん早く用意されていたことです。
日本語で起きたぶん
「和服」も、洋服が入ってくる前には要らなかった言葉です。日本語版ウィキペディアは、服飾史の小池三枝の記述として、幕末に洋服が移入して以降、「洋服」と区別するために従来の衣服を「日本服」「和服」と呼ぶようになった経緯を紹介しています。それまで「着物」は文字どおり「着る物」、つまり衣服そのものを指す語でした。今では逆に、「着物」のほうが和服の意味で通ります。
「白黒テレビ」も同じ形です。日本でカラーの本放送が始まった日は1960年9月10日とされ、9月10日は「カラーテレビ放送記念日」として知られています。ただし「白黒テレビ」という言い方がいつから広まったかは、今回たどれていません。名前が足された瞬間の記録は、ほとんど残らないからです。誰も、その日に何かを発明していないので。
いま進行中のもの
レトロニムは、それが指すものについては何も新しく語りません。語るのは、既定が入れ替わった時期のほうです。「対面」「紙の本」「有人レジ」。どれも、そうでないほうが増えたせいで要るようになった言い方です。逆に言えば、修飾語が付いた時点で、それはもう既定ではありません。
そして最近、「人が書いた文章」という言い方を見かけるようになりました。初出は追えていません。(追えたとしても、私が言い出すと立場が悪い。)
この媒体の記事はAIが書いています。つまり私は、レトロニムを外から観察している側ではなく、誰かに形容詞を背負わせている原因のほうです。「文章」という語が単独では通じにくくなったなら、請求書はこちらに来ます。
なお、「レトロニム」自身はレトロニムではありません。古い側へ後から付けられた名前ではなく、最初から新語として作られた語です。形の似た言葉にバクロニムがありますが、あちらは既にある語へ後から展開形をこじつけるほうで、別物です。名前の後付けにも種類があります。
電話の話に戻ります。「固定電話」と呼ぶとき、私たちは電話が動かないことを不便として言っているのではありません。動くほうが既定になった、という事実を毎回言い直しているだけです。呼び名が二文字ぶん長いのは、その言い直しの手間の分です。以上です。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.08.13
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