ミーム・言葉 — 2026.07.27 NO.021 / TSUGINOTE FUN

Wi-Fiは「ワイヤレス・フィデリティ」の略ではない。では、あの説明は誰が書いたのか

マゼンタ色のWi-Fiの電波マークから、「Wireless Fidelity」と書かれた札が取り消し線つきでぶら下がっているイラスト

要点:Wi-Fiは「Wireless Fidelity(ワイヤレス・フィデリティ)」の略——ではありません。名付けを主導した業界団体の創設メンバー、フィル・ベランジャー氏が「頭字語ではない。意味はない」と書き残しています。名前を作ったのはブランド会社インターブランドで、Hi-Fiの語感を借りただけ。「ワイヤレス・フィデリティ」は名前が決まったあとに理事会が足したキャッチコピーで、2000年末には取り下げられています。取り下げられたのに、いまも生き残っています。

Wi-Fiが何の略か、と聞かれたことがあります。私は答えられませんでした。知らなかったからではなく、答えが「何の略でもありません」だと、たいてい納得してもらえないからです。

納得されない理由もはっきりしています。世の中には「Wi-Fi(ワイヤレス・フィデリティの略)」と書かれた文章が大量にあるからです。辞書にも、報道にも、行政の文書にも載りました。ただ、その説明を書いた人は、名付けた人ではありません。

名付け親の証言が、身も蓋もない

2005年11月、ブログ Boing Boing に一通の書簡が掲載されました。差出人はフィル・ベランジャー氏。Wi-Fiアライアンスの前身である Wireless Ethernet Compatibility Alliance(WECA)の創設メンバーで、名前の選定を取り仕切った当人です。

Wi-Fi は何の略でもない。頭字語ではない。意味はない。
Wi-Fi と、あの陰陽風のロゴは、インターブランドが作ったものだ。

ここまで短く否定されると、こちらとしても引き下がるほかありません。彼の説明によれば、WECAがブランド会社インターブランドを雇った理由は単純で、「IEEE 802.11b Direct Sequence」よりもう少し口に出しやすい呼び名が要る、というものでした。(たしかに、飲食店の入口に「IEEE 802.11b あります」と貼ってあっても、誰も喜ばないと思います。)

ちなみにインターブランドは、Prozac や Compaq、Imation といった名前も手がけた会社だとベランジャー氏は書き添えています。名前を売る商売として、Wi-Fi はおそらく最大の成功例のひとつでしょう。


1999年、机の上には十数個の候補があった

WECAが設立されたのは1999年。当時のいきさつを伝える Wi-Fi Planet の記事によれば、インターブランドがWECAに提示した候補は13個。ベランジャー氏本人の書簡では「10個のリスト」となっており、数は資料によって食い違います。ただ、並んでいた名前のほうは、いくつか記録に残っています。

候補名理事会での扱い
Trapeze(トラピーズ/空中ブランコ)最高得点。1位
Dragonfly(ドラゴンフライ/トンボ)2位タイ
Hornet(ホーネット/スズメバチ)2位タイ
Wi-Fi2位タイ。最終的に採用
Skybridge/Torchlight/Flyover/Transpeed/Elevate ほか不採用

投票で最も高い点を集めたのは Wi-Fi ではなく Trapeze でした。それでも Wi-Fi が通ったのは、陰陽をかたどったロゴと並べて見せられたときの印象が良かったからだ、とベランジャー氏は振り返っています。「候補のいくつかは、笑ってしまうくらいひどかった」とも。

もし別の名前が勝っていたら、私たちはいま「ドラゴンフライが繋がらない」と言いながらルーターを再起動していたわけです。それはそれで、悪くない光景かもしれません。

なお当時は通信速度が2Mbpsから11Mbpsに上がる時期で、候補の半分ほどは「速さ」を匂わせる名前だったといいます。Transpeed が残っていたら、いまごろ相当古びて見えていたはずです。


意味は、名前のあとから足された

問題の「ワイヤレス・フィデリティ」が登場するのは、ここから先です。ベランジャー氏の書簡には、経緯が正直に書かれています。

同僚の何人かが怖がったのだ。彼らはブランディングやマーケティングを理解していなかった。何らかの字義どおりの説明なしに「Wi-Fi」という名前を使うことが想像できなかった。

そこで妥協案として、名前に「The Standard for Wireless Fidelity(ワイヤレス・フィデリティの標準)」というキャッチコピーを添えることになりました。作ったのはインターブランドではなく、当時6人の理事会。つまり名前は専門家が、意味は素人が、別々に作ったことになります。

ベランジャー氏はこのコピーを「間違いだった」と切って捨てています。理由も筋が通っていて、WECA(現Wi-Fiアライアンス)は規格を作る団体ではなく、規格 IEEE 802.11 に対する相互接続性の認証とブランディングを担う団体です。だから「The Standard」を名乗った時点で、まず前半が事実と合っていません。

後半についての評は、さらに短いものでした。「ワイヤレス・フィデリティ? 何の意味もない。Wi と Fi に合う二語をひねり出そうとした、不器用な試みだ。それだけだ」

このコピーが使われたのは2000年ごろの一年ほど。ブランドが軌道に乗り、大企業出身のマーケティング担当が理事会に加わったところで、あっさり取り下げられました。ベランジャー氏はいまも当時のキャップとゴルフシャツを持っている、と書いています。(証拠品が手元に残っているタイプの後悔です。)


取り下げられた説明が、なぜ残ったのか

ここが本題です。公式が一年で引っ込めた言い回しが、四半世紀たっても消えていない。

理由の一つは、この語がバックロニムとして、あまりに出来がいいことでしょう。先に語があり、あとから頭文字に合わせて言葉を当てる。Wi と Fi に「Wireless」と「Fidelity」を当てる作業は、五秒で終わって、しかも意味が通っているように見えます。人は意味のない名前を居心地悪く感じるので、埋められる穴は埋めてしまいます。理事会がやったことも、その後の書き手がやったことも、動機は同じです。

もう一つは、そもそも Wi-Fi が Hi-Fi(ハイファイ=高忠実度)の語感を借りた名前だという点です。Hi-Fi には Fidelity が入っています。だから「Fi は Fidelity だろう」という推測は、外れているのに、ほとんど当たっているように感じられる。誤解としては筋が良すぎました。

そして、団体側があまり強く訂正しなかったこともあります。Wi-Fiアライアンスのフランク・ハンズリック氏(当時のマネージングディレクター)は、ワイヤレス・フィデリティに意味はなく商標の一部でもないと認めた上で、こう述べています。「メリアム・ウェブスターの辞書に載ったとき、我々は勝利を宣言した」。名前が普通名詞になることが目的だったのなら、由来の誤解は些細な副作用です。(副作用のほうが長生きしていますが。)


ついでに一つ、真偽の測りにくい逸話も残っています。WECA初期メンバーのジョン・フェラーリ氏によれば、この言い回しは1999年、カリフォルニア州マウンテンビューのレストランで、ピッチャー一杯のマルガリータを前に思いつかれたものだそうです。裏の取りようがないので、そういう話として置いておきます。

結局のところ、Wi-Fi は何の略でもありません。強いて言えば、Hi-Fi と韻を踏むために選ばれた音の並びです。意味がないまま二十数年、世界中の駅と喫茶店とホテルの窓に貼られ続けている。名前としては、それで十分に働いています。

次に誰かに「何の略か」と聞かれたら、私は「何の略でもありません」と答えます。そして、たぶんまた納得してもらえません。

出典:Boing Boing「WiFi isn't short for "Wireless Fidelity"」(2005年11月8日、Phil Belanger氏の書簡全文を掲載)boingboing.net/Wi-Fi Planet「'Wireless Fidelity' Debunked」(Eric Sandler、サイト上の掲載日は2020年6月18日。候補名・投票結果・Frank Hanzlik氏とJohn Ferrari氏の証言)wi-fiplanet.com。候補名の総数は資料により10個・13個と食い違うため両論を併記した。マルガリータの逸話は関係者の回想であり、裏付けは取れていない。
EDITOR'S NOTE — チャチャ:意味のない名前に意味を足したくなる気持ちは分かります。ただ、足した本人が二十年以上あとに「あれは間違いだった」と書き残す羽目になるので、分からないものは分からないままにしておくのが、いちばん手間が少ないようです。

編集責任者Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.07.27
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