「ビッグフットが死んだ」と家族が語った。実は、一人の男の訃報だった。
要点:ビッグフットという名前は、1958年8月27日にカリフォルニア州北部の道路工事現場で巨大な足跡が見つかり、同年10月6日の地元紙ハンボルト・タイムズの一面で一語になったとされる。足跡を作ったのは工事会社の経営者レイ・L・ウォレスだと、2002年の死去のあとに家族が語った。研究者からは、木の足は石膏型に合わないという反論が出ている。誰が作ったのかは、確かめられていない。
「ビッグフットが死んだ。本当に。」
2002年12月5日付のシアトル・タイムズは、ある訃報をそう書き出した。
亡くなったのは84歳の男性で、名前はレイ・L・ウォレス。森の中で道路を造る建設会社を営んでいた。遺族は、ビッグフットという名前の発端はこの人物だった、と語った。
本稿は、その話を事実としては扱わない。同じ記事の中に、反対の声が並んでいるからだ。名前の由来を、日付順に並べる。
いま何と言われているか
通説から置く。ビッグフットは、北米の森にいるとされる大型の二足歩行の未確認生物で、名前が世に出たのは1958年。カリフォルニア州北部の山中、国有林を貫く道路の工事現場で、巨大な足跡が見つかったことが始まりとされる。
足跡は長さ約16インチ(約40センチ)、幅約7インチ(約18センチ)。見つけたのは、現場でブルドーザーを操縦していたジェリー・クルーという男性だと伝えられている。
日付順に並べる
| 日付 | 出来事 | 出どころ |
|---|---|---|
| 1958年8月27日 | ジェリー・クルーが、工事現場のブルドーザーの周りで巨大な足跡に気づく | Mental Floss(2024年) |
| 1958年秋(日付は資料に書かれていない) | 作業員たちが、足跡の主を「Big Foot」と二語で呼ぶ | Mental Floss |
| 1958年10月6日 | ハンボルト・タイムズが一面で報じ、コラムニストのアンドリュー・ジェンゾリが呼び名を一語の「Bigfoot」にした、とされる | Mental Floss(シアトル・タイムズは「同紙が命名した」と記す) |
| 1967年 | ロジャー・パターソンがカリフォルニア州で撮影した映像が、ビッグフットを写したものとして知られるようになる | HistoryLink(2006年) |
| 2002年11月26日 | レイ・L・ウォレスが84歳で死去 | シアトル・タイムズ(2002年12月5日) |
| 2002年12月5日 | シアトル・タイムズが、家族の話として「ウォレスが1958年の足跡を作った」と報じる | シアトル・タイムズ |
| 2004年 | ボブ・ヘイロニマスが、パターソンの映像でスーツに入っていたのは自分だと語る | HistoryLink |
名前の出どころは、資料によって一か所だけ食い違う。シアトル・タイムズは、ハンボルト・タイムズが「命名した」と書く。Mental Flossは、作業員がすでに二語で呼んでいて、紙面はそれを一語に縮めた、と書く。どちらも同じ10月6日の一面を指しているので、日付は動かない。動くのは、最初にそう呼んだのは誰か、の部分だ。
Mental Flossはさらに、その記事が通信社に拾われてニューヨーク・タイムズとロサンゼルス・タイムズにも載り、数週間後にはNBCのクイズ番組が「足跡の作り方を説明できた人に1,000ドル」と言い出した、と続ける。紙面に載ってから賞金になるまで、ずいぶん速い。(これらの紙面と番組には、今回は当たれていない。)
疑われた男は、当時は否定した
足跡が見つかった現場は、ウォレスの会社の工事だった。クルーはその従業員で、ウォレスの兄弟のウィルバーは現場の責任者だった、とMental Flossは書く。
レイ・ウォレスは、いたずらと作り話で地元では知られた人物だったという。足跡の話が広まると、地元の人々の多くは彼を疑った。本人は否定し、疑う者を名誉毀損で訴えると地元紙に語り、足跡はクマのものだと言った。
数年後には、ビッグフットの子を捕まえたと主張し始める。売る話と買う話の両方が、資料に出てくる。Mental Flossは、朝食用のシリアルを食べさせていると言い、100万ドルで売ろうとしたが、それより安い値が出ると現物を出さなかった、と書く。シアトル・タイムズは、テキサスの富豪に売ると持ちかけて本気の入札が来ると引っ込めた話と、100万ドルで子どものビッグフットを買いたいと発表した話を、別々に書く。どちらが正確かは、確かめられていない。
44年後、家族が語ったこと
ウォレスは2002年11月26日、セントラリアの介護施設で亡くなった。12月5日、シアトル・タイムズは家族の話を載せた。長男のマイケル・ウォレスはこう語っている。「レイ・L・ウォレスがビッグフットだった。現実として、ビッグフットはいま死んだ」。
家族の説明は具体的だった。友人に頼んで長さ16インチのハンノキ材の足を彫らせ、ウォレスと兄弟のウィルバーが履いて足跡を付けた。おいのデイル・リー・ウォレスは、その木彫りの足を自分が持っていると話した。動機は冗談で、「怒られるのが怖くて、言い出せなくなった」という。
この説を支持する側の中心は、雑誌編集者のマーク・チョルヴィンスキー(Mark Chorvinsky)だった。「1958年より前、人々の意識にビッグフットはいなかった」と同じ紙面で語っている。パターソンの映像についても、ウォレスから偽物だと聞いたと言う。一方、マイケルは、父はあの映像を偽物と呼んだが関わってはいない、と話した。
反論と、もうひとつの動機
反論は、同じ紙面に載っている。アイダホ州立大学のジェフ・メルドラム准教授は、解剖学的な特徴から未知の霊長類のものと判断した足跡の型を、40から50点持っていると述べた。「木の足をブーツに付けただけで全部が説明できる、というのは通らない」。ビッグフットに似た生き物の記録は1800年代にさかのぼる、とも言う。チョルヴィンスキーは、昔の記録は誤りか神話か作り話だと返した。
Mental Flossによれば、メルドラムは著書の中で、ウォレスの粗い木の足はクルーの足跡の石膏型とは合わない、と主張している。彼にとってウォレスの最大のいたずらは死後に起きた。ほぼ全メディアに、ビッグフットは自分ひとりの仕業だと信じ込ませたことだ、という。
作家のロバート・マイケル・パイルは、生前のウォレスを知る人物で、「レイは証拠の一部を作った。ただし全部ではない」と語る。人は主張を疑うほど丁寧には、暴露話を疑わない、とも言う。(否定の話も、広まり方は肯定の話と同じだったことになる。)
動機にも、もうひとつの説がある。ウォレスの元従業員ジョン・オーマンは、機械を一晩置くとタイヤが無くなる現場だったので、盗人を脅かすために足跡を付けたのだ、と語った。「すべてはそこから始まった」。家族が語る冗談とは、理由が違う。
確かめられた範囲と、確かめられていない範囲
複数の資料が一致しているのは三つ。1958年8月に巨大な足跡の報告があったこと。同年10月6日のハンボルト・タイムズの一面で名前が広まったこと。2002年11月26日にウォレスが亡くなり、12月5日に家族の話が新聞に載ったこと。最後の一つは、シアトル・タイムズの紙面アーカイブで今も読める。
確かめられていないのは、1958年の足跡を誰が作ったか、の一点だ。家族の語りは、本人が生前に認めた証言ではない。メルドラムの言う石膏型と木の足の不一致も、第三者が並べて照合した結果には、今回は当たれていない。足跡の主が誰であっても、1958年より前の話は別に残る。HistoryLinkは、先住民の伝承、1810年の毛皮商人デイヴィッド・トンプソン、1840年の入植者エルカナ・ウォーカーらの記録を挙げている。それらがウォレス説で消えるわけではない。
HistoryLinkは2006年の記事で、遺体も毛も糞も確認されておらず、科学界が受け入れる証拠は出ていない、と書く。同時に、1958年の足跡が偽物だからといって、見つかった足跡のすべてが偽物とは限らない、とも書く。結論を出さない書き方だ。本稿も出さない。
名前が決まるまで、40日
数えられるものは数えておく。足跡が見つかった1958年8月27日から、ハンボルト・タイムズの一面で名前が一語になった10月6日まで、40日。その10月6日から、家族の話が紙面に載った2002年12月5日まで、44年あまり。
数字で言えるのは、ここまでだ。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.10.16
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