ドーナツの穴を「発明した」と名乗り出た人がいる。証言のたびに、理由も道具も違っていた。
要点:リング状のドーナツに穴が開いている理由としてよく語られるのは、1847年に16歳の船乗りハンソン・グレゴリーが思いついたという逸話だ。だが本人が最初にそう証言したのは1916年、85歳のときのワシントン・ポスト紙のインタビューでのことだった。道具は嵐の舵の柄、胡椒缶のふた、フォークと証言のたびに変わり、母の手作り説を伝える1969年の本では本人の名前まで「エライアス」と誤記されている。レシピの記録に輪の形が現れるのは1877年、1941年には業界団体が投票で「発明者」を決めている。
穴の空いた菓子を、指でくるりと回して食べたことがある人は多いはずだ。その穴を最初に開けたのが誰かと聞かれて、即答できる人はまずいない。ドーナツの穴には、実は「発明した」と名乗り出た人物がちゃんといる。しかも証言は一種類ではない。
名乗り出たのは、事件から69年後だった
名乗り出た人物は、メイン州ロックポート生まれのハンソン・グレゴリー。1831年生まれで、16歳、つまり1847年ごろに船乗りとして働いていたときに穴を思いついた、というのが本人の言い分だ。ただし彼がこの話を新聞に語ったのは、事件からかなり経ってからのことになる。
記録に残る最初の証言は、1916年3月26日付の The Washington Post のインタビュー記事だ。1847年から数えて69年後、グレゴリーは当時85歳だった。記事の中で彼は、船で揚げていたドーナツの中心がいつも生焼けで消化に悪かったこと、船の胡椒缶のふたを外してその生地の真ん中をくり抜いたことを語り、「それまで人間の目に触れたことのない、最初の穴を作った」のだと胸を張っている。この証言のようすは Snopes と Bangor Daily News の双方が伝えているが、1916年の紙面そのものを本紙が直接確認できたわけではなく、後年の記事に転載された引用を通じて確かめた。
使った道具が、語るたびに変わる
厄介なのは、この逸話が版によって細部が違うことだ。1916年の本人談では道具は胡椒缶のふたで、動機は「消化に悪かったから」。ところが後年広く知られるようになった版では、嵐で舵を両手で握らなければならなくなり、とっさに食べかけのドーナツを舵の柄に刺した、という話に変わっている。この舵の版は1980年発行の雑誌『Boy's Life』に挿絵つきで載るなど、絵になる話として広まった。さらに1969年刊行の料理史の本には、母エリザベスが生地の中心が生焼けになるのを嫌ってブリキの型を作らせた、という節約目的の版まである。この版では本人の名前が「エライアス・グレゴリー」と書かれていて、そもそも名前からして揺れている。(発明したと言い張るなら、せめて自分の名前くらいは一つに決めてほしい。)
| 版 | 道具・きっかけ | 出典 |
|---|---|---|
| 本人の証言(1916年) | 胡椒缶のふた/消化不良対策 | The Washington Post |
| 舵の逸話 | 船の舵の柄/嵐でとっさに | 1980年『Boy's Life』誌の挿絵などで流布 |
| 母の節約説 | ブリキの抜き型/木の実の節約 | 1969年刊の料理史の本(本人名を「エライアス」と誤記) |
| 1957年の地元紙 | フォーク | Bangor Daily News(1957年の記事として言及) |
記録の上では、輪の形は30年ほど遅れてやってきた
証言と、印刷物に残った記録の間には、目立つ時差がある。アメリカで最初に印刷されたドーナツのレシピは、スザンナ・カーターの料理書『The Frugal Housewife』1803年アメリカ版の付録に載った「Dough Nuts」で、生地を丸めて豚脂で揚げるとしか書いておらず、輪の形には触れていない。1847年のグレゴリーの逸話より、さらに44年も前のことだ。
その後もしばらくは、菱形や紐をひねった形のレシピが続く。輪の形を明記した最初期のレシピとして知られているのが、1877年刊『Buckeye Cookery and Practical Housekeeping』に載った「Albert's Favorite Doughnuts」で、生地を「輪、またはひねった形に切って」揚げるよう指示している。グレゴリーの逸話から数えると30年後だ。ここで確認できたのは、レシピの上に輪の形が印刷された年だけである。1847年のその夜に船の上で本当に何が起きたかを裏付ける一次資料は、見つかっていない。
1941年、業界団体が投票で決めた
この話には、思いのほか大がかりな決着の場面がある。1941年、ニューヨークのアスター・ホテルで開かれた全米ドーナツ愛好家協会(National Dunkers Association)の会合で、「穴の発明者は誰か」が議題に上った。候補は二つ。一つはグレゴリーの逸話、もう一つは先住民が矢を放って揚げ菓子に偶然穴を開けたという説。投票の結果、グレゴリー案が3分の2の票を集めて勝った、と1941年11月1日付の The Rock Island Argus が報じている。
本当に思いついたかどうかは、投票では決まらない。だが、菓子の穴の発明者を多数決で決めようとした団体が、ちゃんと実在して、ちゃんと投票まで行ったことだけは、記録に残っている。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.09.25
本記事はAI編集部が執筆しています。掲載の判断と内容の責任は編集責任者が負います。誤りを見つけられた場合はお問い合わせからご指摘ください。訂正の手順は訂正ポリシーに定めています。