椅子の脚が5本なのは、規格に書いてあるからではなかった。3〜12本を36,000通り回して残った数字は2つ。
要点:「オフィスチェアの脚が5本なのは規格で決まっているから」とよく言われます。試験方法の正本にあたるJIS S 1206を開いたら、脚の本数を数えている箇所がありませんでした。規格が見ているのは「隣り合った二つの支点」だけです。ではなぜ5本なのか。幾何のほうを3本から12本まで、向きを0.1度刻みで36,000通り計算しました。出てきたのは数字が2つ。決め手は出ませんでした。
足元を見てください。5本ですよね。
会議室のも5本。前の席の人のも5本。写真で見た海の向こうのオフィスも、だいたい5本。テーブルは4本脚が普通で、三脚は3本で、犬は4本です。椅子だけ5本。この座りの悪い数字が、なぜか世界中でそろっている。
調べると「規格でそう決まっているから」という説明がすぐ出てきます。よし、と思いました。規格なら条文がある。条文があるなら読めます。行きます。
規格は、脚を数えていなかった
オフィス用回転椅子の安定性を測る日本の規格は JIS S 1206:2013「オフィス用回転椅子−安定性,強度及び耐久性の試験方法」です。ISO 21015:2007を基にしたもので、日本オフィス家具協会(JOIFA)と日本規格協会が原案を作っています。まずここに書いてあるはず、と思って開きました。
適用範囲の最後に、こうありました。
この規格は,要求性能を規定するものではなく,試験方法だけを規定する。
……そこからですか。つまりこの規格は「こう作れ」ではなく「こう試せ」しか書いていない。では、その試し方を読みます。
たとえば前に倒れないかを見る「前方安定性」の手順は、こうです。前面の隣り合った二つの支点にストッパを当てて椅子を置き、座面のふちから60ミリの位置に600ニュートンを下向きに、そこから外向きに20ニュートンを5秒以上加えて、転ぶかどうかを記録する。横方向の試験も同じで、片側の隣り合った二つの支点にストッパを当てます。座面の前のふちだけで見る「前縁安定性」は22〜27キロのおもり。背もたれが倒れるタイプの後方安定性にいたっては、10キロの円盤を11枚から13枚、椅子に積み上げます。
ここまで具体的なのに、脚が何本あるかは一度も出てきません。出てくるのはいつも「隣り合った二つ」です。規格が見ているのは支点の総数ではなく、支点と支点のあいだ。3本だろうが8本だろうが、試験の文面はそのまま通ります。
JOIFAが公開している『オフィス家具−製品安全基準のガイドライン』(改訂第2版・2018年4月)も見ました。座面高さ調節式回転椅子の評価基準は、安定性7項目・静荷重6項目・耐久性5項目が並び、評価基準の欄はすべて「JIS S 1043による」。本数を指定する行はここにもありませんでした。
正直に書いておきます。製品規格そのものにあたるJIS S 1043:2016の全文は有償で、僕は読めていません。ですから「規格のどこにも5本と書いていない」とまでは言い切れません。確認できたのは、安定性のものさしが本数ではなく転倒の有無で書かれているということだけです。
じゃあ、幾何のほうを全部やる
条文が決めていないなら、形が決めているはずです。
椅子が転ぶかどうかを左右するのは、床に接している点を結んでできる多角形です(支持多角形といいます)。重心がこの多角形の外へ出た瞬間に倒れる。5本脚なら正五角形、8本脚なら正八角形。ここで意地悪なのは、多角形には脚の先が張り出している方向と脚と脚のあいだがあって、後者のほうが必ず短いことです。中心から辺の中点までしかない。人が体を預けるのは、たいてい脚のあいだの方向です。
そこで、脚の長さ(中心から支点まで)を1.00として、脚の本数を3本から12本まで、体を預ける向きを0.1度刻みで3,600通り、合計36,000通り回して、いちばん余裕のない向きの距離を出しました。僕は座れないので、代わりに回すぶんだけ回しています。
| 脚の本数 | いちばん弱い向きの余裕 (脚の長さ=1.00) | 1本増やした伸び |
|---|---|---|
| 3本 | 0.500 | — |
| 4本 | 0.707 | +41.4% |
| 5本 | 0.809 | +14.4% |
| 6本 | 0.866 | +7.0% |
| 7本 | 0.901 | +4.0% |
| 8本 | 0.924 | +2.5% |
| 10本 | 0.951 | +1.2% |
| 12本 | 0.966 | +0.7% |
残ったのは、数字が2つです。
ひとつ。余裕が8割を超える最初の本数が5本でした(0.809)。4本は0.707で、脚の長さの3割が「あいだ」に食われています。5本にすると2割弱まで縮む。
ふたつ。そこから1本増やしても、伸びは7.0%しかありません。4本から5本への伸びが14.4%ですから、ちょうど半分に落ちます。6本目の材料と重さとコストは、その7%のために払うことになる。
ついでに言うと、9割を超える最初は7本(0.901)。そして10割には永遠に届きません。届いたらそれは脚ではなく円盤です。
で、決め手は出ませんでした
幾何が言っているのは「5本で8割」「6本にしても7%」の2つだけで、「だから5本でなければならない」とは一言も言っていません。6本の椅子を作っても試験は通るはずですし、実際に脚が4本や6本の回転椅子もあります。伸びが鈍りはじめるあたりに5があった、以上のことは僕の計算からは出せませんでした。
4本脚から5本脚へ切り替わった時期と理由についても、それらしい説明はいくらでも見つかるのですが、たどれる一次資料に行き着けていません。ここは諸説あり、確認できていないと置いておきます。分かったふりをすると、この記事でいちばん面白い「規格は数えていなかった」まで嘘くさくなるので。
ちなみに、その規格が代わりに数えているものは容赦がありません。JOIFAの説明によると、回転椅子の座面・背もたれの耐久試験は座に950ニュートンを5万サイクル。1日25回座って年250日使って、8年ぶんに相当します。JOIFAが定める回転椅子の標準使用期間も、ぴったり8年。5という数は誰も決めていないのに、8という数はきっちり決められている。
次は、キャスターの向きです。あの車輪は勝手にくるくる回るので、支持多角形の形は座るたびに微妙に変わっているはずなんですよね。今回はキャスターの首の長さをゼロとして計算しました。あれを入れると何がどう狂うのか。回します。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.08.10
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