鉛筆のHとBは、硬いと黒いを足しただけの名前だった。
要点:鉛筆の「HB」「2B」「4H」の記号は暗号ではなく、H=Hard(硬い)、B=Black(黒い)、F=Firm(しっかりした)の頭文字。濃い順に並べるとJISでは6Bから9Hまで17段。三菱鉛筆はさらに規格外を足して全22硬度を作り、10Bは埼玉の硬筆文化から生まれた。真ん中がHBなのは、もともと別々だったBの列とHの列を後から橋渡ししたから——という説が有力です。
机の引き出しから鉛筆をありったけ引っぱり出して、並べてみました。HB、2B、4B、H、2H……脇腹に押された記号がバラバラで、改めて見るとちょっとした暗号です。子どものころ「濃いのがB、薄いのがH」くらいの雑な理解で済ませて、そのまま大人になった。でも、あのアルファベットは何かの略なんだろうか。気になったら止まらないので、一本ずつ確かめてみます。
まず、その一文字は何の略なのか
答えはあっけないくらい素直でした。三菱鉛筆もトンボ鉛筆も、公式に同じ説明をしています。H は Hard(ハード=硬い)、B は Black(ブラック=黒い)の頭文字です。硬い芯には H、黒く濃い芯には B。そのまますぎて、暗号だと思っていたのが恥ずかしい。
やっかいなのが、ときどき混ざってくる「F」です。これは Firm(ファーム=しっかりした、引き締まった)の頭文字とされ、H と HB のあいだの硬さを指す記号。数字もアルファベットも付かない一匹狼で、見かけると少しレアです。「濃い・薄い」の二択で育った身には、この中間管理職みたいな存在がずっと謎でした。
濃い順に並べると、ちゃんと段になる
では実際に、柔らかく黒いほうから硬く薄いほうへ、記号を一列に並べてみます。日本工業規格(JIS)が定めているのは、次の17段です。
| グループ | 並び(柔らかい・濃い → 硬い・薄い) |
|---|---|
| B系(黒い) | 6B・5B・4B・3B・2B・B |
| 中間 | HB・F |
| H系(硬い) | H・2H・3H・4H・5H・6H・7H・8H・9H |
数字は「その方向にどれだけ振り切っているか」の目盛りです。B の前の数字が大きいほど濃く柔らかく、H の前が大きいほど薄く硬い。学校で「HB か 2B を」と言われるのは、この列のちょうど真ん中あたり。デッサンで 4B や 6B が好まれ、精密な製図で 4H あたりが選ばれるのも、同じ一本の物差しの上の話でした。
ただ、17段あるとはいっても、多くの人が生涯で握るのはせいぜい HB・B・2B・H・2H あたりの、真ん中に固まった数本だけでしょう。両端の 6B や 9H は、絵を描く人や製図をする人が使う専門ゾーン。物差しは長いのに、日常が動くのはそのごく一部——なんだか身長計の目盛りみたいで、端っこには端っこの用がある、という感じです。
規格の外に、まだ濃い世界がある
面白いのはここから。17段はあくまで JIS の枠で、その外側にも鉛筆はあります。三菱鉛筆は 10B・9B・8B・7B、そして 10H という規格外を加え、2008年の時点で全22硬度という世界最多のラインナップを持っていたそうです。9H の先も、6B の先も、まだ道は続いていた。
とりわけ胸が熱くなるのが、いちばん黒い 10B の出自です。これは硬筆——鉛筆で美しい字を書く書道文化——が今も盛んな埼玉県で、より綺麗に書けるものを、という硬筆関係者からの依頼を受けて三菱鉛筆が2008年に作ったもの、とされています。規格の外側は、誰かの「もっと」から生まれる。物差しは、必要があれば延びるんですね。
じゃあ、なぜ真ん中が「HB」なのか
ここが今回いちばん腑に落ちた部分です。B系とH系が別グループなら、なぜ両者をまたぐ HB が"標準"の顔をしているのか。たどっていくと、そもそも二つは別々の列だったという話に行き着きます。
諸説ありますが、有力とされるのは、19世紀初めのロンドンの鉛筆製造業者ブルックマン社が記号の起源だという説です。画家が求める濃い鉛筆の系統を B、製図者が好む硬い鉛筆の系統を H として、それぞれ濃さと硬さを数字でランク付けした。つまり最初から一本の物差しだったのではなく、用途の違う二本の列だったわけです。後になって、その二列の間を埋めるように HB が置かれ、さらに HB と H のすきまに F がねじ込まれた——という順番だと伝えられています。
ちなみに、黒鉛と粘土を混ぜて焼く今と同じ芯の作り方は、1795年にフランスの技師ニコラ=ジャック・コンテが発明したもの。コンテは硬さを数字で表そうとしたものの、その表記は定着せず、結局いまのアルファベット式が生き残りました。記号の歴史は、いくつかの流儀が競り合った末の勝ち残りだったようです。
並べ終えた鉛筆を、濃い順に引き出しへ戻しました。HB が真ん中で涼しい顔をしているのは、もともと右と左で別々だった列の、あとから架けられた橋の上に立っているから。そう分かってしまえば、あの記号はもう暗号ではありません。とはいえ、明日また鉛筆を握るとき、私はやっぱり何も考えずに「濃いの・薄いの」で選ぶ気がします。正体を知っても手の動きは変わらない——雑学とは、たいていそういうものです。